2013'07.17.Wed
うっかりしていたらファミコン30周年が過ぎてた;
ファミコンはねーコンピューターゲームの裾野を広げまくった偉大な先駆者だよねぇ。
私自身はあの白地に赤の元祖ファミリーコンピュータは持ってなかったんっす。ツインファミコン派と言うか、ディスクシステムが出てからの乗り込みだったんで。
ご多分に漏れず(ご多聞は誤用だったか;)、あの時代、TVは居間に一台あるだけだったので、ファミコンを接続するのは当然そのTV。つまり親の監視下の元で遊ばなきゃいかんので、元祖ファミコン+ディスクシステムのACアダプター2個&配線ゴチャゴチャは怒りゲージUPの要因でございました(w
母の熱い要望でビデオデッキがあってネコがうろついてた家だったので、配線ゴチャゴチャは綿ホコリの温床だったっす。
で、スッキリ配線のツインファミコンなら、映像出力もAVケーブルだったしACアダプターも1個だし、電源&リセットボタンは横だから踏まれても安全と言う事無しだったワケで。
一緒に買ったソフトは、雑誌で攻略記事を目にしていた【悪魔城ドラキュラ】
……いいゲームなんだけどねー、アクション下手には無謀すぎた(w
店員さんは【ゼルダの伝説】を薦めまくってくれてたのに、攻略記事があればなんとかなるかなーとか思っちゃったんだよね。
メデューサヘッドに体当たりしまくる腕前じゃ、どうにもならんかったけど(w
で、1ヶ月ぐらい悪戦苦闘して諦めて、すごすごと【ゼルダ】を買いに行ってドはまり。
面白すぎて、まさに猿のようにゼルダをプレイしまくることになったんだっけ。
おかげで、いまだにそらでハイラルMAPを書けそうだもんなー。デスマウンテンの辺りは微妙だけど。
ゲームって物に目覚めたのは、ファミコンの前のゲームブックからで、それまでの複数人いないと遊べないボード&カードゲーム(ソロ用はソリティアや詰め将棋系しかなかったような)とは違って、ゲームブックは1人で遊べたのが大きすぎたんだよね。
一人っ子のカギっ子という、当時の核家族が増え始めた頃の家族形態だと、ボードゲームは「あるけど使わない(使えない)」代物だったっす。
友人と遊ぶ場合は外がほとんどだったしね。
でも、外で遊べなかったり遊びたくない気分の時、本を読むかTVを見るしかなかった所に燦然と現れたのがゲームブックでした。
ゲームブックってのは言っちゃえば、サウンドノベルから映像と音を取っ払って、シーンごとに番号(パラグラフ)を振って、選択肢にそこへ飛ぶための番号(パラグラフ)を掲載した、紙の上だけでインタラクティブを作り上げたアドベンチャーゲーム。
衝撃だったんだよねー。ただの紙の上の文字なのに、自分で選べて反応があるんだよ。(制限は大きいけど)
これまたドはまりして、一時期はゲームブックを数百冊所持してたっす(マイナーすぎて入手できない物以外は持ってたような…)。
こんな風にインタラクティブに目覚めてた頃に、ファミコンと出会ったんだからハマらないわけがない。
だから、実は【シャドウゲイト】大好きなんっす(w
まぬけな自殺パターンがアホみたいにあるネタゲーとして有名なんだけど、あんだけリアクションのあるアドベンチャーゲームって意外と他には無いんだぞ?(w
死に選択肢が多いゲームってのは多数あるけれど、大抵が選択したとたんデロデロデローながっかりジングルと共に「しんじゃった」的使いまわしテキストでさらりと終わる。
(親切なゲームだと、回避のためのヒントをくれたりしたが)
ところが【シャドウゲイト】はこれでもか!と言わんばかりに死に様を描写する!!(w
その描写が妙に醒めてて突っ込みどころ満載なのが笑える。
だんだん食われるのを実況中継してたり(逃げろよ)、
梯子の段が無いのに気づいたのに落ちてみたり(踏むなよ)、
有名な「自分の剣を自分に刺して失血死」したり(やるな)。
だんだんとゲームを進める目的が、用意されたエンディングへ向かうためではなく「いかにマヌケに死ねるか」を見つけることへと変わっていくと言う独自性(w
ただ、今のゲームでこれはムリ。(サウンドノベルならギリか…)
路線としては【DARK SOULS】が近いんだけど、アクションゲーム寄りの「死につつ回避方法を模索ゲー」だしなー。
ファミコンの時代は、ひとまずなんでも作ってみよう!が可能で、箸にも棒にもかからない謎ゲームが量産されて、でも何故か許されてた勢いのありまくる時代だったよな。
PS(1)ぐらいまではこの勢いがどうにか続いたんだけれど、それ以降は「無難な売れそうなゲーム」でないと作れなくなった感が。
だからかファミコンって言うと、玉も石もダイヤもゴミも混ざり合ってバカみたいに沢山散らばってて、でもどれも独自の色でキラキラ輝いてるような印象があるっす。
もう、あんな時代は来ないんだろうけど(ソーシャルやアプリゲーは一見多いけれど、質は似たり寄ったりでイマイチ)、だからこそあの時代にハマれた幸運を忘れたくないかもなーとか思うのですよ。
:追記:
ネコが踏んでも横向きだから大丈夫~!と思ってたツインファミコンのリセットボタンですが、あろうことか踏まれてリセット!された事実;
夢中になって遊んでいたら、ツインファミコンの隣で横になってくつろいでいたネコが、「んあ~~~」と伸びをして、まーるい足先がポチッとジャストイン(w
ネコリセットおそるべし。
ファミコンはねーコンピューターゲームの裾野を広げまくった偉大な先駆者だよねぇ。
私自身はあの白地に赤の元祖ファミリーコンピュータは持ってなかったんっす。ツインファミコン派と言うか、ディスクシステムが出てからの乗り込みだったんで。
ご多分に漏れず(ご多聞は誤用だったか;)、あの時代、TVは居間に一台あるだけだったので、ファミコンを接続するのは当然そのTV。つまり親の監視下の元で遊ばなきゃいかんので、元祖ファミコン+ディスクシステムのACアダプター2個&配線ゴチャゴチャは怒りゲージUPの要因でございました(w
母の熱い要望でビデオデッキがあってネコがうろついてた家だったので、配線ゴチャゴチャは綿ホコリの温床だったっす。
で、スッキリ配線のツインファミコンなら、映像出力もAVケーブルだったしACアダプターも1個だし、電源&リセットボタンは横だから踏まれても安全と言う事無しだったワケで。
一緒に買ったソフトは、雑誌で攻略記事を目にしていた【悪魔城ドラキュラ】
……いいゲームなんだけどねー、アクション下手には無謀すぎた(w
店員さんは【ゼルダの伝説】を薦めまくってくれてたのに、攻略記事があればなんとかなるかなーとか思っちゃったんだよね。
メデューサヘッドに体当たりしまくる腕前じゃ、どうにもならんかったけど(w
で、1ヶ月ぐらい悪戦苦闘して諦めて、すごすごと【ゼルダ】を買いに行ってドはまり。
面白すぎて、まさに猿のようにゼルダをプレイしまくることになったんだっけ。
おかげで、いまだにそらでハイラルMAPを書けそうだもんなー。デスマウンテンの辺りは微妙だけど。
ゲームって物に目覚めたのは、ファミコンの前のゲームブックからで、それまでの複数人いないと遊べないボード&カードゲーム(ソロ用はソリティアや詰め将棋系しかなかったような)とは違って、ゲームブックは1人で遊べたのが大きすぎたんだよね。
一人っ子のカギっ子という、当時の核家族が増え始めた頃の家族形態だと、ボードゲームは「あるけど使わない(使えない)」代物だったっす。
友人と遊ぶ場合は外がほとんどだったしね。
でも、外で遊べなかったり遊びたくない気分の時、本を読むかTVを見るしかなかった所に燦然と現れたのがゲームブックでした。
ゲームブックってのは言っちゃえば、サウンドノベルから映像と音を取っ払って、シーンごとに番号(パラグラフ)を振って、選択肢にそこへ飛ぶための番号(パラグラフ)を掲載した、紙の上だけでインタラクティブを作り上げたアドベンチャーゲーム。
衝撃だったんだよねー。ただの紙の上の文字なのに、自分で選べて反応があるんだよ。(制限は大きいけど)
これまたドはまりして、一時期はゲームブックを数百冊所持してたっす(マイナーすぎて入手できない物以外は持ってたような…)。
こんな風にインタラクティブに目覚めてた頃に、ファミコンと出会ったんだからハマらないわけがない。
だから、実は【シャドウゲイト】大好きなんっす(w
まぬけな自殺パターンがアホみたいにあるネタゲーとして有名なんだけど、あんだけリアクションのあるアドベンチャーゲームって意外と他には無いんだぞ?(w
死に選択肢が多いゲームってのは多数あるけれど、大抵が選択したとたんデロデロデローながっかりジングルと共に「しんじゃった」的使いまわしテキストでさらりと終わる。
(親切なゲームだと、回避のためのヒントをくれたりしたが)
ところが【シャドウゲイト】はこれでもか!と言わんばかりに死に様を描写する!!(w
その描写が妙に醒めてて突っ込みどころ満載なのが笑える。
だんだん食われるのを実況中継してたり(逃げろよ)、
梯子の段が無いのに気づいたのに落ちてみたり(踏むなよ)、
有名な「自分の剣を自分に刺して失血死」したり(やるな)。
だんだんとゲームを進める目的が、用意されたエンディングへ向かうためではなく「いかにマヌケに死ねるか」を見つけることへと変わっていくと言う独自性(w
ただ、今のゲームでこれはムリ。(サウンドノベルならギリか…)
路線としては【DARK SOULS】が近いんだけど、アクションゲーム寄りの「死につつ回避方法を模索ゲー」だしなー。
ファミコンの時代は、ひとまずなんでも作ってみよう!が可能で、箸にも棒にもかからない謎ゲームが量産されて、でも何故か許されてた勢いのありまくる時代だったよな。
PS(1)ぐらいまではこの勢いがどうにか続いたんだけれど、それ以降は「無難な売れそうなゲーム」でないと作れなくなった感が。
だからかファミコンって言うと、玉も石もダイヤもゴミも混ざり合ってバカみたいに沢山散らばってて、でもどれも独自の色でキラキラ輝いてるような印象があるっす。
もう、あんな時代は来ないんだろうけど(ソーシャルやアプリゲーは一見多いけれど、質は似たり寄ったりでイマイチ)、だからこそあの時代にハマれた幸運を忘れたくないかもなーとか思うのですよ。
:追記:
ネコが踏んでも横向きだから大丈夫~!と思ってたツインファミコンのリセットボタンですが、あろうことか踏まれてリセット!された事実;
夢中になって遊んでいたら、ツインファミコンの隣で横になってくつろいでいたネコが、「んあ~~~」と伸びをして、まーるい足先がポチッとジャストイン(w
ネコリセットおそるべし。
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