2015'07.13.Mon
鳥羽街道の駅のすぐ近く、白くて四角くて豆腐なんて呼ばれているあのビル。
つい一昨日もながめて、そして「岩っち元気してるかな?」とか考えてた。
すげー気安い呼び方だよね、岩っち。
面識なんか無いのに。配信動画とかを観ていたタダのその他大勢の1人でしかないのに。
Windowsが世を席巻する前。ゲームってのはプログラマが作る物だった。
いや、今もそうなんだけど、今のゲーム製作は企画プロデューサから始まり、200人とか平気で必要とされてしまうプロジェクト。
でもファミコンのちょっと前なんかは、プログラマが1人か2人、あとサポートに2~3人いるかいないかって少人数で作ってた。
その頃のプログラマってのは何でもこなしちゃって、私なんぞからするとカミサマみたいなもんだった。
あ、誤解の無いように言っておくけど、今も思ってるよ。
でも今のプログラマは専業のスーパー技術者だと思う。で、昔のプログラマはマルチでなんでもサクサク作ってしまう職人だった。
(今のプログラマさんだって「やっていいなら自分でやりてーよ、このやろ!」って言いたいだろうけど)
任天堂の社長さん、岩田聡さんはそういう職人プログラマだった。
本人としてはずっとそのまま職人プログラマでいたかったみたいだ。
でも組織のリーダーとしての力量を見込まれて経営者の椅子につくことになって、冷え込む業界の中、普通なら守りに入りそうなところを、ジワリジワリと攻め続ける姿勢はさすがだなと思った。
でも、ちょっと作り手に甘くて、山内社長時代の受け手目線の精神を忘れてね?って所もあったし、いきなりのガンホーとの共闘とか、びっくりする舵切りもあった。
急いでいる気配を感じていた。
入院の後、あまりにも痩せ過ぎ、一時は顔色も悪く、ダイレクトを森本氏へ委任やE3欠席など心配もあった。
でも「社長が訊く」の再開と、顔色の良い明るい表情の写真や、ご自分のMiiを「今の体型にあわせました」と痩せ型に変更する茶目っ気から、ああ快癒してるんだ……そう判断していたんですよ。
私は性格が悪くて、人が死んだとき、その人がどれだけ世の中に必要とされているのか、惜しいと思われているのか、って尺度で泣く人間なんっす。
おかげで父の葬儀でまったく泣けず困ったという orz
今までに、ワンワン泣いた相手は血縁では1人きり。そのくせメディア媒体でしか知らない相手に対して大泣きしまくること多々。
悲しい
って気持ちと
悔しい
って気持ちが高ぶって大泣きしてしまうんですよ。
岩田社長の訃報を知って、私は大泣きしています。
悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて、どうしてあんな貴重な人が、こうもあっさり逝ってしまうのか、
ゲームを自分の手で作り出せて、現場を知っていて、大会社の経営トップをこなせる力量があり、プレイヤー目線も持っていて、なによりゲームを愛している。
こんなチート社長が、たった55歳って年齢で居なくなるなんて、心底悔しくてならないんですよ。
居なくなっちゃいけない人が逝ってしまった時、いつも寿命のロウソクを思い浮かべるっす。
叶うことなら、私の寿命のロウソクを分けてあげたいと。
寿命のロウソクはファンタジーで実在しないものだし、逝ってしまった人を呼び戻す方法も現実世界には無いっす。
だから、自分の寿命を分けてあげられたらなんてナンセンスだし、岩っちも困ることでしょう。
それに、おそらく一番悔しいのは岩っち本人でしょうし。
できることなら来年のE3でもネタムービーで笑わせて欲しかったですよ。
直接!やトゥイッターも聴いていたかった。
どんな任天堂を作り上げていくのか、不安半分期待半分で楽しみにしていたんですよ。
ああ、早過ぎるよ、本当に。
当分泣きあかすぞコンチクショウ!
岩田社長、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。
いや、今もそうなんだけど、今のゲーム製作は企画プロデューサから始まり、200人とか平気で必要とされてしまうプロジェクト。
でもファミコンのちょっと前なんかは、プログラマが1人か2人、あとサポートに2~3人いるかいないかって少人数で作ってた。
その頃のプログラマってのは何でもこなしちゃって、私なんぞからするとカミサマみたいなもんだった。
あ、誤解の無いように言っておくけど、今も思ってるよ。
でも今のプログラマは専業のスーパー技術者だと思う。で、昔のプログラマはマルチでなんでもサクサク作ってしまう職人だった。
(今のプログラマさんだって「やっていいなら自分でやりてーよ、このやろ!」って言いたいだろうけど)
任天堂の社長さん、岩田聡さんはそういう職人プログラマだった。
本人としてはずっとそのまま職人プログラマでいたかったみたいだ。
でも組織のリーダーとしての力量を見込まれて経営者の椅子につくことになって、冷え込む業界の中、普通なら守りに入りそうなところを、ジワリジワリと攻め続ける姿勢はさすがだなと思った。
でも、ちょっと作り手に甘くて、山内社長時代の受け手目線の精神を忘れてね?って所もあったし、いきなりのガンホーとの共闘とか、びっくりする舵切りもあった。
急いでいる気配を感じていた。
入院の後、あまりにも痩せ過ぎ、一時は顔色も悪く、ダイレクトを森本氏へ委任やE3欠席など心配もあった。
でも「社長が訊く」の再開と、顔色の良い明るい表情の写真や、ご自分のMiiを「今の体型にあわせました」と痩せ型に変更する茶目っ気から、ああ快癒してるんだ……そう判断していたんですよ。
私は性格が悪くて、人が死んだとき、その人がどれだけ世の中に必要とされているのか、惜しいと思われているのか、って尺度で泣く人間なんっす。
おかげで父の葬儀でまったく泣けず困ったという orz
今までに、ワンワン泣いた相手は血縁では1人きり。そのくせメディア媒体でしか知らない相手に対して大泣きしまくること多々。
悲しい
って気持ちと
悔しい
って気持ちが高ぶって大泣きしてしまうんですよ。
岩田社長の訃報を知って、私は大泣きしています。
悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて、どうしてあんな貴重な人が、こうもあっさり逝ってしまうのか、
ゲームを自分の手で作り出せて、現場を知っていて、大会社の経営トップをこなせる力量があり、プレイヤー目線も持っていて、なによりゲームを愛している。
こんなチート社長が、たった55歳って年齢で居なくなるなんて、心底悔しくてならないんですよ。
居なくなっちゃいけない人が逝ってしまった時、いつも寿命のロウソクを思い浮かべるっす。
叶うことなら、私の寿命のロウソクを分けてあげたいと。
寿命のロウソクはファンタジーで実在しないものだし、逝ってしまった人を呼び戻す方法も現実世界には無いっす。
だから、自分の寿命を分けてあげられたらなんてナンセンスだし、岩っちも困ることでしょう。
それに、おそらく一番悔しいのは岩っち本人でしょうし。
できることなら来年のE3でもネタムービーで笑わせて欲しかったですよ。
直接!やトゥイッターも聴いていたかった。
どんな任天堂を作り上げていくのか、不安半分期待半分で楽しみにしていたんですよ。
ああ、早過ぎるよ、本当に。
当分泣きあかすぞコンチクショウ!
岩田社長、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。
PR
Post your Comment
カレンダー
カテゴリー
プロフィール
ブログ内検索
ブログパーツ