2008'09.06.Sat
7/19に書いた【座右の書】の追記?みたいな感じでグダグダ
ウチの兄上は意外とロマンチストなんだけど、そのロマンが現実にゃ通用しないってキッパリ切り捨ててる人。
「目にして実に驚いたが、今のジャッジの教本は薄いものだな。昔はもっと厚かったように覚えているが」
「改定した。完全版は管理局や監査局、各ジャッジマスターが所持している。当然、ここにもあるが読んでみるか?」
「いや結構。しかし教育課程では完全版を使っておるだろうに、お得意の経費節約かね?」
「それもある。だが、私の個人的見解の方が大きいな」
「ほぅ?」
「指導書(マニュアル本)と言うものは、確かに便利で役立つが、思考する力を奪うものだとは思わないか?」
「理解をするのを止めてオウム返しになると?」
「優秀な指導書があればあるほど、ジャッジたちの行動が思考を重ねてたどり着いた結果なのか、ただ教本の教えを守っているだけなのかが判らなくなる。ここが市民との接触が多いジャッジの難しい部分だ。
軍部に属する兵ならば思考など必要は無い。肉体面の訓練と、あとは上官に従う従順さだけがあればいい。だが、ジャッジは法の番人として市民の中で活動せねばならない。兵と同じふるまいは反感と軽蔑をまねく。それに……あの教本は理想ばかりが高すぎる」
「理想を抱くのは大いに結構ではないか。理想もなく、名誉や顕示欲ばかりでジャッジを目指す輩の、どれほど多いことか」
「理想そのものは否定はしない。ただ、あの本は “正義” の言葉を軽々しく使いすぎている」
「ふぅむ…… “理想”と“正義”か。どちらもつかみどころの無い代物だからな、名目にされては困るか」
「理想はまだ個人の意見だ。だが正義は個人の考えにも関わらず、総意であるかのような錯覚を与えてしまう。教本にあることは正義である、などと短絡的な行動に出る者が多すぎるのだ」
「なるほど、だからあんたは “正義” という言葉を使わんのだな。あんたは “法” 、それも “アルケイディアの法” と言っていたか」
「“法”は人が積み上げた経験からしぼりだされた精髄だ。敬意を払うに値する」
「ははは! あんたにとっては“正義”は敬うに値せんか。おもしろいな。同じことを言うた輩がもう一人おるぞ」
「誰だろう?」
「ヴェーネスじゃよ。なぁ、ヴェーネス?」
『敬わないのではなく、私には理解が難しいのだ』
「ヴェイン、どうやらオキューリアの間には“正義”と言う概念がないらしい」
『人類が使う “正義” には裏づけがない。自分に有用な行動を正当化するための、中身のない形式にしか見えないのだ。あらゆる事柄が正義の名の下に行われ、その結果も観察者が異なれば悪にも正義にもなる。シド、ヴェイン、どうして人類は “正義” にこだわるのだ?』
「改定した。完全版は管理局や監査局、各ジャッジマスターが所持している。当然、ここにもあるが読んでみるか?」
「いや結構。しかし教育課程では完全版を使っておるだろうに、お得意の経費節約かね?」
「それもある。だが、私の個人的見解の方が大きいな」
「ほぅ?」
「指導書(マニュアル本)と言うものは、確かに便利で役立つが、思考する力を奪うものだとは思わないか?」
「理解をするのを止めてオウム返しになると?」
「優秀な指導書があればあるほど、ジャッジたちの行動が思考を重ねてたどり着いた結果なのか、ただ教本の教えを守っているだけなのかが判らなくなる。ここが市民との接触が多いジャッジの難しい部分だ。
軍部に属する兵ならば思考など必要は無い。肉体面の訓練と、あとは上官に従う従順さだけがあればいい。だが、ジャッジは法の番人として市民の中で活動せねばならない。兵と同じふるまいは反感と軽蔑をまねく。それに……あの教本は理想ばかりが高すぎる」
「理想を抱くのは大いに結構ではないか。理想もなく、名誉や顕示欲ばかりでジャッジを目指す輩の、どれほど多いことか」
「理想そのものは否定はしない。ただ、あの本は “正義” の言葉を軽々しく使いすぎている」
「ふぅむ…… “理想”と“正義”か。どちらもつかみどころの無い代物だからな、名目にされては困るか」
「理想はまだ個人の意見だ。だが正義は個人の考えにも関わらず、総意であるかのような錯覚を与えてしまう。教本にあることは正義である、などと短絡的な行動に出る者が多すぎるのだ」
「なるほど、だからあんたは “正義” という言葉を使わんのだな。あんたは “法” 、それも “アルケイディアの法” と言っていたか」
「“法”は人が積み上げた経験からしぼりだされた精髄だ。敬意を払うに値する」
「ははは! あんたにとっては“正義”は敬うに値せんか。おもしろいな。同じことを言うた輩がもう一人おるぞ」
「誰だろう?」
「ヴェーネスじゃよ。なぁ、ヴェーネス?」
『敬わないのではなく、私には理解が難しいのだ』
「ヴェイン、どうやらオキューリアの間には“正義”と言う概念がないらしい」
『人類が使う “正義” には裏づけがない。自分に有用な行動を正当化するための、中身のない形式にしか見えないのだ。あらゆる事柄が正義の名の下に行われ、その結果も観察者が異なれば悪にも正義にもなる。シド、ヴェイン、どうして人類は “正義” にこだわるのだ?』
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